2010年7月15日木曜日

010_彦坂敏昭→

村山さま

 プレゼンテーションお疲れさまでした。自分達のしていることに少しでも可能性を見てくれたとプラスに考えるとわくわくする一方で、
総評の際に言われたメディアの二重性の問題を含め諸々の問題を忘れないよう取り組まなければですね。がんばりましょー。

場の特異性

 さて、一般的にサイトスペシフィックという方法が何を起源としているかというのは、環境芸術全般や、ジャッドなどの作品を含めて考えると僕にはよくわかりません。
 ただ、サイトスペシフィックとは「場の特異性」という意味が一般的であって、その作品が作品として成立する際に「場」という条件であり要素をかけがえのないものとしてどのように設定しうるか。
 例えば、アースワークに関していえば、制度化された美術館やギャラリーに対するカウンターとしてという側面がありますし、60年代におけるハプニングについても、最終的な作品のありようを意識的に周囲の環境(場)に大部分を委ねることで成立しています。また、ジャッドやセラ等も、「場」を積極的に作品に内在させています。

 そういう意味で立ち戻って考えてみると、サイトスペシフィックという方法は「場」の発見以降、様々なステイトメント(中村政人さんの作品も含め)の中で多種多様な方法として用いられていることがよくわかります。

 先のメールでの「全ての作品が何らかの形で場に帰属している」という意見はもちろん賛同しますが、その帰属の仕方が、どの程度のかけがえのなさを持って作品成立に寄与しているかということを見ていく必要があると感じています。例えばその関係が、「後付の耐震グッズなのか」「設計時に意識的に耐震に取り組まれたものなのか」によって意味そのものが変容しまいますし、強度も変わってしまいます。

 先のプレゼンで、僕も同じく展示作品の帰属に関しての質問に、
 「これ迄は、展示される環境・空間からのみルールを設定しインスタレーションを行ってきたが、今回は、さらに作品の内部を充足させ、その上で改めて内部からルールを生成し外部(展示空間)と接触します」と回答しました。
 作品からルールを生成し、結果的に「場」を宙づりにすることができればと少し考えています。

 村山さんの場合、一貫して時間というものがキーワードになっていますのでそういった眼差しによるコミットの仕方はすごく楽しみで僕には見当がつきませんが
出会ってみたいですね。

これまでは、どのように意識してきたのですか?

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