2010年5月31日月曜日

008_村山悟郎→

彦坂さま

こんばんは

「心はプログラムできるか - 人工生命で探る人類最後の謎 - 」(サイエンス・アイ新書)読み始めましたよ。
 この時期にいろんな方が亡くなってしまって、重なりますね。針生一郎さんには一度お見かけしたことがあって(といっても一方的にですが)、友人のアーティストで有賀慎吾くんのArt Center Ongoing(吉祥寺)での展覧会でゲストトークに来ていました。針生さんは最後まで戦争画を主題とした日本人作家が登場するのを切望していたようです。

 学習とは

 さて「技術」の話、ありがとうございます。技術とは作品の質のコントール可能性といえるかと思います。岡崎乾二郎さんの言葉を借りれば「芸術の再生産可能性=技術」という感じでしょうか。
 彦坂くんのいうとおり「学習」と「技術」には言葉の持つニュアンスの近さはありますが、語意的な遠さもあります。
 「学習」とは行動科学の分野においては、知能を持つ動物の行動が、時間経過とともに変化するプロセスを指します。刺激、反応、強化というサイクルを経て行動が変化してゆく過程です。僕はこれを作品として対象化しようと考えて、近年の作品を作っています。絵を描く行為(技術)とその時間経過とともに進行する変化のプロセス(学習)です。

 創発

 ところで彦坂くんの将棋の話は、「創発」の例示として端的で分かりやすい気がします。
 彦坂くんがルールの中でどのような美しさの境地を目指しているのかがイメージされます。ルールという論理階型(ロジカルタイプ)に留まりながら、既存のルールからの超越的逸脱というか、複雑な相互作用が新しい挙動を引き出してゆく創造的な事態というか、、。それも一種の「創発」(単純な機能を持つ部分が集まって相互作用すると、全体として予想しないような機能、構造、振る舞いを示すという現象)とみることもできるかもしれません。
 僕はよくこの「創発」の例にセルオートマトンを挙げています。セルオートマトンは、局所的で単純なルールしか持たないコンピュータプログラムです。しかし、そうであるにもかかわらず、その挙動は全体としては複雑で、予測不可能な様相を獲得しているのです。
 恐らく、今度のプレゼンテーションでは、ルールやシステムを志向した上で、どのような創造的事態(創発)を想定出来るか、という話になるのではと想定しています。どうでしょうか?

 ちなみにプレゼンテーションの時間はなんと20分(!)もあるそうなので、かなり準備をしていかないとやばいと思います。

村山悟郎

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