2010年5月8日土曜日

002_村山悟郎→

彦坂さま

 暖かい日が続くようになってきましたね。ようやくコーヒーがホットからアイスに変わってきました。
 さてさて、「はじめの話」ありがとうございます。まるで自分のことのように読みました。面白いですね、非常に近い感覚を持っていたように思います。


 
フォーマリズムから構成へ

 出来るだけ要素を削いで、その果てに何が残るか?かつては僕にも、作品をミニマムな要素に還元してゆく指向がありました。
 僕の美術のキャリアは2004年から始まっています。武蔵野美術大学の油絵学科に入学して、そこで二年間学んだのです。当時の武蔵美は
、今はまた少し変わっていると思いますが、モダニズムの強い影響下にあったと思います。藤枝晃雄さんがいて、林道郎さんも西洋美術史を教えているような状況でしたから。そんな中で、武蔵美の油絵学科にはフォーマリズムの考え方がすっかり定着していたと思います。
 ちょうどその頃は、ART TRACEから林道郎さんの「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」シリーズが刊行され始めていました。それに川村記念美術館ではロバート・ライマンの大きな個展があったんです。そうした影響もあって、僕が最初に取り組んだのは、絵画をミニマムな形式として捉えることでした。僕にとって要素を削いでゆくという過程は、フォーマリズムだったというわけです。
 しばらくはフォーマリズムの考え方をベースに、観念的に作品形式を提示するという方法で制作していました。今でもこの方法を格別悪いとは思っていませんが、作品が単純な形式に陥りやすく、そういう意味での失敗を多く重ねたように思います。
 20世紀後半のモダニズム絵画は、既存の「絵画」という形式を純粋化してゆくというベクトルでした。ですから、関係の無いものを新規に関係づけてゆくことにはとんと疎いと思います。逆に、そうした純粋化の志向が、絵画の「構成」を批判的に抑制していた、とも言えます。ですから、その影響下にあった僕が、彦坂くんの言うような構成的意識を獲得するに至ったのはそれよりも少し後の話になります。

アーティストは、ある意味で、砂場から砂山を作り上げるように、素材を素材以上の物に転化していくことが要求されています。この一線を超えていく為にはどうしたら良いのか。(彦坂)


 
迷路描き

 僕が構成的意識を持つきっかけになったのは、幼年期の造形活動を見つめ直す、という研究からでした。彦坂くんが制作において構成を意識したのが「砂山を崩す遊び」だとしたら、そこも僕とちょっと近いということになりそうですね。

 僕が研究対象にした幼年期の造形活動は「迷路描き」の遊びでした。2005年に大学を武蔵美から東京芸大にうつって、初めに取り組んだ研究がそれにあたります。
 僕は子供のころ、迷路を描くのがとても好きでした。親に迷路がたくさん載っている本を買ってもらって、最初はそれを真似しながら大量に描いていたんです。やがて独自の描き方を獲得していって、うねうねと曲線が積み重なり、まるで脳ミソのような迷路を描くようになっていきました。そうして出来上がった「迷路描き」のスタイルにおいて、どのように新しいパターンが誕生するのか、研究してみたのです。
 僕の「迷路描き」は、消しゴムなどで修正を加えることはしません。線が加算的に積み重なって拡大してゆく形式です。ですから、新しいパターンの誕生は、そのまま「迷路描き」という行為の"プロセスの変化"の現れとして見ることが出来ると考えたのです。
 この「迷路描き」において、どのように新しいパターンが生まれるか?
 僕が出した結論は、新しいパターンの発生には「疲労」という人間の性質と道具の物性が大きく関わっている、というものでした。

 
疲労

 疲労度、つまり「疲れやすさ」がプロセス変化の鍵になる有力な変数だと考えたのです。人間の性質でいえば、持久力や根気、あるいは"飽き"が挙げられると思います。「疲労」に関わる道具の物性については、例えに鉛筆とシャープペンシルを比較して見てみます。鉛筆は、その先端の鋭さを維持するために、軸を回転させて接地面を変えたり、削りなおす頻度が多いですよね。一方のシャープペンシルは、先端の鋭さを維持するプロセスが合理化された道具です。芯も常に細く一定であるし、カチカチと末端部を押すだけで良い。ですから、シュープペンシルよりも
鉛筆の方が疲労度が高いと考えました。
 また「疲労」は"休む"という概念を含んで、ストップ&ゴーを繰り返すプロセスを形成します。そして「迷路描き」の作動が「疲労」によってストップして"休む"とき、「次に何をするか?」という判断の契機が生まれます。その判断の契機が多いほど、複雑化したり新しいパターンが生まれる可能性が高いと考えました。実際、疲労度の高い、長い線を描画していたときに新しいパターンが生まれる事例があったのです。
 この研究を経て以来、「疲労」という概念は僕にとって非常に重要な概念になっています。

 こうして、新たなパターンが生まれるプロセスに目を向けて、システムを構成するという意識の最初の一歩を踏み出した、という感じです。

彦坂さんにとって決断を下す際の拠り所とは何でしょうか?気になります。

村山悟郎

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